どーも、卒論のテーマを「能と身体」にしようと思っているまな蜜柑(@mana81900)です。
今日はひっさびさに悲しい夢を見て夢の中で号泣しました。
内容は、祖母がもうすぐ死ぬにあたって、北海道に親戚が集まった際、家族の思い出を写真とともに達筆で綴った飾り屏風が現れるというものです。
その祖母は私が小学生の時に亡くなった祖母で、私は実際のところ彼女がどんな人間だったか分からないのだけれど、書いてあることが真実味を持って心に迫り、1枚毎に声を上げて泣いているところで目が覚めました。
屏風は全部で5枚程あり、薄い金色のグラデーションの背景に萩などの草花の絵があり、小筆の草書体で10行ほど書かれているもので、目覚めると「死に際の人が屏風に書けるわけないじゃん」と思うのですが、どうしてこんな夢を見たのか考えたときに、「自分の無意識が号泣を必要としていた」と気づかされました。
泣くことでかなり色々な事を手放すことが出来ます。
理性で「やらなきゃ」「放棄しちゃいけない」などと思っていることも、「泣く」と言う状況になれば、「お手上げ!」「助けて−!」と言うことが出来ます。
今日の夢は、私の心を救うために、おばあちゃんがくれたギフトなんだな、と思いました、
世界は無意識も使ってバランスを取り、生きているものを生かそうとしてくれる。
夢はなんのためにあるの?
毎日のように夢を見る子供でした。20代になっても結構夢を見ていました。
夢の中って毎日違うことが起こるし、自分が当事者なので本気でドキドキしますよね。
「能」のストーリーも夢のように不可解なものが多く、シーンが突然変わったり、突然異形のものが現れて「うそでしょ・・・」というオチを迎えます。
そして、その「夢ショック」を軽減するのが「狂言」ということで、鬼が出る能の後に鬼が騙される狂言を行い、話の裏表を表現し、物の見方のバランスを取っていました。
☆ショックを受けることで、身体は整体される。
辛いことがあると「胸がつぶれる」ような感じになり、呼吸が深く出来なかったり、頭が痛く、身体が重くなったりしますよね。
心のショックで身体も変化します。
夢も能も、見る人にショックを与える方法なんじゃないかと思っています。
感情を揺さぶり、物事の見方を変化させることで、身体をほぐしているのです。
今回の泣ける夢は、「無理すんなよ!」って天国の祖母と自分の身体が言ってくれたのでした。
ここ半年、あんまり泣けてなかったなー。おばあちゃんありがとう。
師走が近づき、色々考えますがゆるりと生きましょう。
これでいいのだ〜。
まな蜜柑より。